子が宿った!そして孤独な日々と母
ムーは、現在5歳。
最愛の息子です。
平成20年6月、23歳での出産となりました。
何を隠そうわたしは地元の実家に身を寄せ、独身で出産を迎えました。
当時わたしは東京の大学を出て、東京のプロモーションデザイン会社にデザイナ見習いとして入社していました。
そしてまだ1年目という分際でひょっこり妊娠し、翌年の5月には退職とうアホっぷりを発揮してしまったのです!
自分が心底アホだと素直に認められる余裕がでたのは最近のことで、
当時はチョー必死に生きる若者でした。
東京の会社はわたしを認めて応援ししてくれ、
自宅で仕事ができるように、廃棄前のマッキントッシュにディスプレイ、
そしてソフトウェアまで与えてくれて(本当はそういうことしちゃダメなのに)、
出産前からわたしにレクチャーし、退職して地元に戻ってから個人の
わたしに「仕事」を出してくれたのです。
仕事といっても、本当に何もできないわたしに、素材やテンプレートなど一式提供してくれて、わたしは指示通りにデータを作成していくような内容でした。
まったくアホな人間のわたしが生活に困らないように定期的に仕事を出し、
フリーなのでもちろんアップダウンが大きくありましたが平均して月12、3万は収入を得られました。
実家住まいで、母子家庭に支給される補助を少し足して、
ひとまず今の生活には何の支障もない幸せな内容でした。
しかしわたしはやはりアホでした。
はじめての子育て、パートナーもいなくていろいろな感情に支配され、
サポートしてくれている母にあたりまくり、
毎日大げんか…というような日々に陥ってしまったのです。
もともと東京のアパートでたったひとり臨月まで妊婦生活を送り、
体験したことのない孤独に何ヶ月も耐えてきたんです。
ほかの同期がバリバリ仕事をしているところをほぼ定時にあがり、
ひとりで家でぽつんとすることもなく、眠る。
つわりもひどかったので吐き続けながらもほとんど意地で会社に通い、
友人や会社では平気なフリして振る舞って…
だからこそ、母にしか甘えられなかったんですね。
母の前では大声で泣いたし、大声で怒鳴ったし、汚い姿を見せられた。
出産してからお乳が出ない自己嫌悪、泣きがひどい赤ちゃん、
すべてがつらくて、自分のすべてを母のせいにしました。
行き着くところは、なんでわたしをこんな人間に育てたんだろうという、憎しみばかりでした。
今振り返れば全部自分で決めてきたことなのに。
バカすぎてアホすぎて救いようのない人間でした。
そしてそんなときに世間はリーマンショック、
一時的だったとは思いますが東京からの仕事も激減、
とにかく追いつめられたわたしは、地元での就職先を探し、アパートを探し、
1歳3ヶ月の息子と一緒に実家を飛び出してしまいました。
母とは絶縁という状態ではなく、ふたり暮らしを歓迎していろいろサポートしてくれました。
今思うと本当に辛労をかけたなあと…。ぺこりです。
今でもよくけんかはするでけれど、まあいつものこと、
2日もたてば適当に普通に戻ってるような仲ですから。
そんなこんなで平成21年9月、仕事かけもちのアパート2人暮らしは怒濤のごとくスタートしたのでした。