はつしらが日記

人生初の白髪発見を機に始めたブログです。

「仕事」との戦いのはじまり

わたしは隣市の小さなデザイン企画制作会社で9時から15時のパート勤務と、

東京からの単発の仕事をかけもちするかたちで新生活をはじめました。

 

東京からの仕事は夜息子が寝てから仕上げるようなかたちで、

時間に追われ、仕事のことでいつもピリピリしていました。

それとひきかえに収入の方はあがり、東京の仕事+パートで10万円ほどという感じで、あわせて平均20万円ほど。

田舎で働くママとしてはだいぶ収入が高いほうでした。

 

とはいえそのおかげで翌年からの国民健康保険料、保育料などは跳ね上がり、

え~っ、こんなに毎月払うの…??というくらいキツくなったんですけどね。

国保料なんて月2万以上!保育料も約2万!国民年金は1万5千円でしょ…

母子家庭の補助は2万ちょっとと少なく…

悲しくなりました。

夜寝ないで働き、税金でもっていかれ…の日々。

昼間しっかり働いて収入が高いのなら何の問題もありませんが、

夜中まで、時には朝出勤するまで作業してまわし、

しかもものすごく不安定で綱渡り状態のフリーランス

 

さらに、息子もどんどん大きくなり、夜中わたしが布団にいないと起きてきて寝られない、といった事態も起き始めていました。

何も悪くない息子にイライラする日々。

死にものぐるいでまわしていた仕事環境に亀裂が入り始めていました。

 

そんなぐるぐるの中、もうひとつのぐるぐるが少しずつわたしの生活を蝕んでおりました。

生活どころかわたしの人生をも最悪の事態に巻き込んでいったのは、パートで勤め始めた会社のほうでした。

 

運が悪かったとしか言いようがありません。

今でいう「ブラック企業」と化した会社。

そんな言葉で済ますとただの流行りに聞こえますが、あの恐ろしい日々は一生忘れることはありません。

 

結果的にこの会社には3年半勤めました。

これでもかというくらい苦しめられましたが、今ある幸せはこの日々があったから、と…

思ったり、思わなかったり。

子が宿った!そして孤独な日々と母

ムーは、現在5歳。

最愛の息子です。

平成20年6月、23歳での出産となりました。

何を隠そうわたしは地元の実家に身を寄せ、独身で出産を迎えました。

 

当時わたしは東京の大学を出て、東京のプロモーションデザイン会社にデザイナ見習いとして入社していました。

そしてまだ1年目という分際でひょっこり妊娠し、翌年の5月には退職とうアホっぷりを発揮してしまったのです!

自分が心底アホだと素直に認められる余裕がでたのは最近のことで、

当時はチョー必死に生きる若者でした。

 

東京の会社はわたしを認めて応援ししてくれ、

自宅で仕事ができるように、廃棄前のマッキントッシュにディスプレイ、

そしてソフトウェアまで与えてくれて(本当はそういうことしちゃダメなのに)、

出産前からわたしにレクチャーし、退職して地元に戻ってから個人の

わたしに「仕事」を出してくれたのです。

仕事といっても、本当に何もできないわたしに、素材やテンプレートなど一式提供してくれて、わたしは指示通りにデータを作成していくような内容でした。

まったくアホな人間のわたしが生活に困らないように定期的に仕事を出し、

フリーなのでもちろんアップダウンが大きくありましたが平均して月12、3万は収入を得られました。

実家住まいで、母子家庭に支給される補助を少し足して、

ひとまず今の生活には何の支障もない幸せな内容でした。

 

しかしわたしはやはりアホでした。

はじめての子育て、パートナーもいなくていろいろな感情に支配され、

サポートしてくれている母にあたりまくり、

毎日大げんか…というような日々に陥ってしまったのです。

もともと東京のアパートでたったひとり臨月まで妊婦生活を送り、

体験したことのない孤独に何ヶ月も耐えてきたんです。

ほかの同期がバリバリ仕事をしているところをほぼ定時にあがり、

ひとりで家でぽつんとすることもなく、眠る。

つわりもひどかったので吐き続けながらもほとんど意地で会社に通い、

友人や会社では平気なフリして振る舞って…

だからこそ、母にしか甘えられなかったんですね。

母の前では大声で泣いたし、大声で怒鳴ったし、汚い姿を見せられた。

出産してからお乳が出ない自己嫌悪、泣きがひどい赤ちゃん、

すべてがつらくて、自分のすべてを母のせいにしました。

行き着くところは、なんでわたしをこんな人間に育てたんだろうという、憎しみばかりでした。

今振り返れば全部自分で決めてきたことなのに。

バカすぎてアホすぎて救いようのない人間でした。

 

そしてそんなときに世間はリーマンショック

一時的だったとは思いますが東京からの仕事も激減、

とにかく追いつめられたわたしは、地元での就職先を探し、アパートを探し、

1歳3ヶ月の息子と一緒に実家を飛び出してしまいました。

 

母とは絶縁という状態ではなく、ふたり暮らしを歓迎していろいろサポートしてくれました。

今思うと本当に辛労をかけたなあと…。ぺこりです。

今でもよくけんかはするでけれど、まあいつものこと、

2日もたてば適当に普通に戻ってるような仲ですから。

 

そんなこんなで平成21年9月、仕事かけもちのアパート2人暮らしは怒濤のごとくスタートしたのでした。

ホコリと思いきや白髪。

29歳女子。

つわりが少し落ち着いたのをみはからって洗面所で前髪を切りそろえておりました。

おや、ストレートの前髪になんか目立つホコリが乗ってる…と思い、はらおうとしたけれどなかなかこびりついててはらえない。

よく見てつまんでひっぱると、イテ、皮膚から生えてました。

白髪ではないか。しかも、ほよよよーんとうねり、目立つホコリにしか見えない白髪。そして前髪のど真ん中。

そうか…そんなときがきたのかぁ…。

 

白髪と言えば、体質によって中学ぐらいから普通にある子もいるのでそんなにめずらしいことではないと思うのですが、

今まで一本も見当たらなかった女子にとって、静かな衝撃を与えられるものでした。

 

思えばいろいろあった。

いろいろありすぎて、今の平穏が嘘のような時代もあった。

自分が体験したり苦しいと感じてきたすべてのこと、

なんとなく消化しながら生活してはいたけれど。

でもこの白髪が。

それでもわたしって本当に生きてる、と証明してくれたような気がしました。

どうしようもない疫病神のような自分を、あ、でも認めていいんだなーと思えるきっかけをくれたような。

 

わたしも歳とった。

時代はめぐる。

わたしも時代の中のただの人。

そうなんだなあーーと、不思議ですが思えた瞬間なのでした。